2014年1月10日(金)
「わたしはあなたのおきてを守ります。どうかわたしを見捨てないでください。」(詩篇119:8)
聖霊がわれわれに、全く新たにしかも正しく教えてくれる前に、われわれはまず、「私は・・・します」と語ることを一度完全にやめなければならない。
・・・
われわれは、神がその場に居合わせてわれわれに恩寵と助けとを与えてくれる場合にだけ、神のおきてを守ることができ、堅く立つことができるのである。
ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、20頁f。
信仰とは自分自身の敬虔さや努力や生真面目さから出てくるものではなく、神さまが一方的な恵みの中で与えてくださるものです。ですからこの詩篇の著者は、人間の敬虔さや力によって「わたしはあなたのおきてを守ります」といっているのではありません。ただ神さまの恵みの中でこのように語ることが許されているのです。
主にある者は、強いられてではなく、自由と喜びの中で、「わたしはあなたのおきてを守ります」ということができます。神さまによってそのように作り変えられているのです。
しかしそれと同時に地上にいる限り弱さの中にあるので「どうかわたしを見捨てないでください」と祈らなければなりません。
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