服従の用意のある心だけが感謝することができる

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2014年1月9日(木)

「あなたの義の要求を学ぶとき、わたしは正しい心をもってあなたに感謝します。」(詩篇119:7)

神への感謝は、それがもし服従する心から出てくるのでないならば、虚偽であり、不遜である。したがって地上の賜物について、また天に積むことになる賜物について神に感謝することができるのは、神により啓示された言葉によって心が神に服従しようと志す場合だけである。この世の感謝はいつも最後には自分自身のことを考える。人間は感謝することによって、ただ自分の幸福の強い確証と聖別とを求めるだけである(ニーチェ)。

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パリサイ人は神に感謝をして、罪を犯した(ルカ18:9以下)。なぜなら、パリサイ人は感謝しつつも自分自身しか見つめず、謙遜な心をもってその賜物を受けず、かえってその賜物を隣人に対して乱用したからである。パリサイ人は「正しい心を持って」感謝することができなかったのである。

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私が神に感謝するのは、私が神の要求を知り、また学ぼうとするからである。神の義の要求に照らし合わせて見るならば、私はまだあらゆる点で欠けの多い者であるが、そのような者として、神の要求を学びつつ、神に感謝するのである。

ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、18頁f。

人間は感謝することによっても罪を犯すことができるのです。感謝もそれが本当の感謝となるためには、あるいは隣人への愛と実を結ぶ感謝となるためには、神さまに服従する、すなわち神さまのみことばに従う信仰が必要です。

聖書のみ言葉を学び、神さまの前に罪人であることを知り、神さまだけが私を救うことができると知り、十字架と復活の主を見上げて初めて正しい心で感謝をささげることができます。

その感謝は隣人への愛と実を結ぶことができます。

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