ジュリアン・バーンズ、『終わりの感覚』

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"The Sense of Ending"

Julian Barnes

土屋政雄 訳

人生が終わりに近づくと―いや、人生そのものでなく、その人生で何かを変える可能性がほぼなくなるころに近づくと―人はしばし立ち尽くす時間が与えられる。ほかに何か間違えたことはないか・・・・・・。そう自らに問いかけるには十分な時間だ。

・・・

累積があり、責任がある。その向こうは混沌、大いなる混沌だ。

ジュリアン・バーンズ、『終わりの感覚』、183ページf

立ち尽くす時間。立ち止まる時間ではなく、圧倒的な何かによって自分としては立ち尽くしかない時間。何かを自分の選択で、自分の意志で変えられるように思い込んでいるときは、立ち尽くすよりも行動します。しかしそれができない時がやってきます。あるいはそれができないということがわかる時がやってきます。その時に立ち尽くします。

立ち尽くした人間がやることは、過去を振り返って、何か間違えたことはないか・・・そう自らの問いかけることです。

本当は立ち尽くす時間ではなく、立ち止まる時間をもって、自らの歩みを振り返ることができればいいのかもしれません。生きっぱなしの人が多いのでこの世界は混乱します。立ち止まらず自分の言葉、行い、それらを振り返ることなく生き続けるので、人生は混乱するのです。

そうでなくても神さまの創造のみわざを発見できないうちは、どこに行っても、何をしていても、混沌なのですから。

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