このように目標のはっきりしないことは、愛によって割礼を受けていない心の中で起こる信仰の戦いがあることを意味しています。
コリントの信徒への手紙1、9章27節
2013年10月11日(金)『心を新たに』~ウェスレーによる一日一生~
(編)A.ルシー、(訳)坂本誠
304頁
「目標のはっきりしないこと」。やみくもに走ったり空を打つ拳闘をしてしまうこと。そういう生き方は自分を捨てない生き方の中に起こってしまうということでしょうか。やみくもに走ったり空を打つ拳闘をしてしまうのは、とにかく自分を追い求め自分を大切にし自分を生きようと焦る中に起こってしまうことなのでしょう。明日のことを神さまの手の中にお委ねして今日をしっかりと生きるという生き方ができないのは、自分を得ようとして焦る中に起こるのです。
ですから、明日のことは神さまにお委ねして今日をしっかりと生きるためには、自分自身を捨てなければならないのです。やみくもに走ったり空を打つ検討をしないためには、自分自身をしっかりと神さまの手の中にゆだねることが必要なのです。
このようにしっかりと神さまの手の中にゆだねることは「愛によって割礼を受け」た心の中に生まれるのです。逆に愛によって割礼を受けていない心の中には信仰の戦いが起こります。それは自分を委ねられない、そうして自分自身を自分の力によって得ようとしてしまうその焦りの中に信仰の戦いが起こるのです。
自分を捨てられない、自分を委ねられない、それ自体信仰の戦いです。その戦いに勝利することこそ、目標をしっかりと定めて生きる豊かな生き方を生み出します。
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