ガラテヤの信徒への手紙のなかで、著者パウロはペテロを非難しています。(ガラテヤ2章12節)
ここから人の顔色を見て行動することの問題を考えます。しかしこのように非難するパウロも、使徒の働き16章3節では、ユダヤ人の手前ギリシャ人を父に持つテモテに割礼を受けさせていますし、使徒の働き21章26節を見ると、ユダヤ人に配慮して自らが清めの儀式を果たしています。つまりパウロもペテロと同じ事をしているのです。
このパウロのペテロに対する非難はいったいなんであったのか。
もし聖書の整合性、首尾一貫したパウロ像を想定するならば、この矛盾を埋め合わせるための理解が必要になります。つまりただ人の顔色を見て行動するのはだめですよ、ということだけを聖書が語っているのではないということになります。
もちろんパウロの信仰の変化という理解もできます。あるいは変化というよりも成熟といったほうがいいかもしれません。
いずれにせよ、一見首尾一貫しているとはいいがたい言動をするペテロやパウロは、大変魅力的な先輩キリスト者です。
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