主にある敬虔な人たちの道

静まりの時

  • テーマ:主を知ること
  • 聖書箇所:箴言2・1~15
  • 日付:2026年09月23日(水)

7 主は正直な人のために、すぐれた知性を蓄え、
 誠実に歩む人たちの盾となり、
8 公正の道筋を保ち、
 主にある敬虔な人たちの道を守られる。
9 そのとき、あなたは義とさばきと公正を、
 またすべての良い道筋をわきまえ知る。

他の訳では以下の通り。

【新共同訳】

7 主は正しい人のために力を
 完全な道を歩く人のために盾を備えて
8 裁きの道を守り
 主の慈しみに生きる人の道を見守ってくださる。
9 また、あなたは悟るであろう
 正義と裁きと公平はすべて幸いに導く、と。

【共同訳2018】

7 主は正しい人には良い考えを
 完全な道を歩む人には盾を備える。
8 裁きの道筋に従い
 忠実な人の道を守るために。
9 その時、あなたは見極められるようになる
 正義と公正と公平が
 幸いに至る唯一の道のりであることを。

同じ言葉がさまざまに翻訳されています。
表にすると以下の通りです。

新改訳 新共同訳 共同訳2018
1 正直な人 正しい人 正しい人
2 すぐれた知性 良い考え
3 誠実に歩む人たち 完全な道を歩く人 完全な道を歩む人
4 公正の道筋 裁きの道 裁きの道筋
5 主にある敬虔な人たちの道 主の慈しみに生きる人の道 忠実な人の道
6 義とさばきと公正 正義と裁きと公平 正義と公正と公平
7 すべての良い道筋をわきまえ知る すべて幸いに導く、と・・悟る 幸いに至る唯一の道のりであることを・・・見極められる

便宜的に番号を振ってみました。この他にも見つけられるかもしれません。

それぞれに思い巡らす恵みがありますが、特に今朝心にとまったのは、5番でした。

主にある敬虔な人たちの道は、主の慈しみに生きる人の道であり、それを忠実な人の道というのです。

言い換えれば、主に忠実である、ということは、主の慈しみに生きる人のことであり、それを敬虔な人というのです。

原文の単語は「敬虔な、親切な、忠実な、聖徒、聖なる者」という意味だそうです。よって新改訳や共同訳2018は直訳的なのだと思います。それに対して新共同訳は大胆に意訳、あるいは解釈をしているといってもよいかもしれません。

直訳的がよくて意訳はよくないということではありません。翻訳したという時点ですべて、多少なりとも解釈がなされているのですから、すべての翻訳聖書は程度の差はありますが意訳であるといえます。ですから良い訳というのは、その解釈において、信仰があるかないか、ということではないかと思います。

そう考えると、新共同訳において、主に対して敬虔であり忠実な人というのは、主の慈しみに生きる人、主の慈しみにすがり、守られている人、と解釈したことは、とても深い信仰がそこにあるように思います。

敬虔である、とか、忠実である、というのは、おおよそ教条主義とは無縁で、人格をお持ちの神が、十字架と復活の愛をもって今日も共に生きてくださることを喜ぶ人のことなのです。その喜びを味わい知る人のことなのです。