静まりの時
- テーマ:地上の平和を
- 聖書箇所:第一ペテロ3・8~12
- 日付:2026年08月10日(月)
8 最後に言います。みな、一つ思いになり、同情し合い、兄弟愛を示し、心の優しい人となり、謙虚でありなさい。
9 悪に対して悪を返さず、侮辱に対して侮辱を返さず、逆に祝福しなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのです。
一つ思いになること。皆同じ考え方、感じ方、感情、ということではなく、信仰告白において一つになる、ということです。使徒信条によって告白している三位一体の神、その神のなしてくださった贖いの御業によって、いま私たちは生かされていることを、喜びをもって告白する。その一点において一つ思いになることです。
同情し合うこと。喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣く者となること。別人格であるお互いは、完全には互いを知り得ません。ですから想像するのです。想像力が、同情力を高めます。ただ共鳴することではありません。しっかりと距離を取りつつ、相手を思いやることです。
兄弟愛を示す。主の前に同じ兄弟姉妹であることを見失うことなく、愛を示していく。それは自分自身も主の前にひとりの罪人であることをわきまえ知った者だけができることだと思います。
心の優しい人となる。優しいということは、善悪をあいまいにしたり不正や不義をまえに見て見ぬ振りをすることではありません。この優しいという文字は、人偏に憂いと書く。だから憂い、すなわち悲しみやわずらいを背負う、ということである、とある人がいいました。優しさは、苦しみを背負った人から流れ出ます。ただ苦しみの中にあるから自動的に優しい人になるわけでhありません。その苦しみを主からのものとして愛をもって受け止める。そうして、背負う、ということがなされている。そこで優しさは生まれます。苦しみの中で不平不満ばかりであれば、優しさは生まれません。
謙虚である。低くする、という意味の言葉です。お高く留まっている、などという言葉もありますが、高いところにいると、落下の恐怖に常にさいなまれます。低くあることは、安定した、平安な、生き方です。互いの間で謙虚である、ということですが、神さまのまえに謙虚である、神さまの救いの業を喜んでいる、ということによって生み出されるものです。
悪に対して悪を返さない。侮辱に対して侮辱を返さない。私たちは悪に対して悪を返したくなります。侮辱を受ければ侮辱を返したくなります。まるで均衡を保とうとするかのように、穴埋めをしたくなるように、そうしたくなります。しかし悪を返さない、侮辱を返さない。
ただ返さないのではない。逆に祝福しなさい、といいます。悪をなされても、侮辱をうけても、ただ黙ってしのぶ、というのではない。むしろ、祝福するのです。祝福を祈る。祝福の言葉をかける。祝福の業をなす。
それは、わたしたちは祝福を受け継ぐために召されたからである、と語ります。誰かに祝福を語るために、とはいいません。自分たちが祝福を受け継ぐためである、というのです。祝福は一方通行ではありません。祝福する者こそ、祝福される者なのです。