人がわたしにとどまり、わたしもその人にとどまっているなら

静まりの時

  • テーマ:交わり
  • 聖書箇所:ヨハネ15・1~10
  • 日付:2026年07月13日(月)

5 わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人にとどまっているなら、その人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないのです。

「とどまる」。新共同訳、共同訳2018では「つながる」。

エリコの取税人のかしらザアカイにお声をかけれたイエスさまは、次のように語られました。

イエスはその場所に来ると、上を見上げて彼に言われた。「ザアカイ、急いで降りて来なさい。わたしは今日、あなたの家に泊まることにしているから (ルカ19・5)

「とどまる」は、この「泊まる」と同じ単語です。主がともにいてくださる。それは、泊まること、一緒に生活をすること。

そういう人は「多くの実を結ぶ」と主は言われました。

イエスさまを信じる、ということは、イエスさまに「とどまること」であり、イエスさまが「とどまってくださること」です。そうして一緒に生活をすることです。主が一緒に生活をしてくださるので、多くの実を結びます。

多くの実を結ぶ人生。

22 しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、
23 柔和、自制です。(ガラテヤ5・22,23)

私たちの日々の生活が、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制、に満ちたものとなる。主を信じる、ということはそういう人生を歩むようにしてただくことです。