静まりの時
- テーマ:決断
- 聖書箇所:第二コリント12・1~10
- 日付:2026年06月13日(土)
7 その啓示のすばらしさのため高慢にならないように、私は肉体に一つのとげを与えられました。それは私が高慢にならないように、私を打つためのサタンの使いです。
8 この使いについて、私から去らせてくださるようにと、私は三度、主に願いました。
9 しかし主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである」と言われました。ですから私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。
10 ですから私は、キリストのゆえに、弱さ、侮辱、苦悩、迫害、困難を喜んでいます。というのは、私が弱いときにこそ、私は強いからです。
神さまが直接お出会いくださってみ言葉を語ってくださったという経験は、ときに人を高慢にします。パウロはその人間の弱さをよく知っていました。
神さまに三度も祈ったその祈りの内容は具体的には分かりませんが、ここに答えられない祈りがあることが記されています。しかし答えられないということが神さまからの答えであるとパウロは語ります。
弱いからこそ神さまのお力に覆われるのです。キリストのゆえに、弱さ、侮辱、苦悩、迫害、困難を、私たちも喜びたいと思います。以前の訳では「甘んじています」となっていました。甘んじる(甘んずる)は、もともとの意味は、よい味だとする、満足に思う、という意味のようですが、多くの場合、しかたないと思って受ける、という意味に受け取られるのではないかと思います。原文の意味は、積極的に喜んでいる、ということなので、新しい訳が原文の意味を明らかにしているようです。