静まりの時 ヨハネ16・25~33
日付:2023年01月21日(土)
27 父ご自身があなたがたを愛しておられるのです。あなたがたがわたしを愛し、わたしが神のもとから出て来たことを信じたからです。
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33 これらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を得るためです。世にあっては苦難があります。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝ちました。
(ヨハネ16・27、33)
父なる神さまは、あなたがたを愛しておられる。それは、あなたがたがわたしを愛し、わたしが神のもとから出て来たことを信じたからである、とイエスさまは言われました。
弟子たちがイエスさまを愛し、イエスさまが神のみもとから来られたことを信じたということ。そのことが、父なる神さまが、弟子たちを愛しておられることである、と言われたのです。
私たちがイエスさまを愛し、イエスさまを信じることによって、父なる神さまが私たちを愛して下さっている、というのではありません。私たちがイエスさまを愛し、イエスさまを信じるということ。そこにすでに神さまが私たちを愛していてくださることが明らかになっている、というのです。
それは、イエスさまを愛する、イエスさまを信じる、ということは、私たちの営みであると同時に、そこにすでに父なる神さまの愛が働ている、ということです。父なる神さまの愛の働き無くしてだれひとりイエスさまを愛し信じることはできないのです。
イエスさまは、これらのことを話したのは、あなたがたが平安を信仰を得るためである、と言われました。イエスさまのお言葉を読む、いただく、ということによって、私たちは平安をいただきます。聖書を読むことによって読む者に平安が与えられる、ということ。それが聖書の正しい読み方なのです。聖書を読んで不安になる、とか、聖書を利用して人びとを不安にさせるというのは、聖書の正しい読み方とはいえません。
イエスさまを愛し信じている自分自身の中に、すでに父なる神さまの愛が注がれている、ということ。この世には苦難があります。しかし父なる神さまの愛の中にあるならば、すでに勝利の主の愛の中にあるのですから、勇気をもって生きることが出来ます。感謝。