静まりの時 2021年12月27日(月)
「わたしはあなたに忠告する。豊かな者となるために、火で精錬された金をわたしから買い、あなたの裸の恥をあらわにしないために着る白い衣を買い、目が見えるようになるために目に塗る目薬を買いなさい。」
(ヨハネの黙示録3・18、新改訳2017)
この「忠告する」ということばには少し相手を非難しているような雰囲気がありますが、共同訳2018では「勧める」とありますので、どちらかというと育てようとしているということでしょう。
「豊かな者となるために」。イエスさまを信じる者が豊かな者となる、それは経済的な豊かさではなく、信仰的な豊かさ、霊的な豊かさだと思います。そのために「火で精錬された金」「白い衣」「目薬」を「わたしから」すなわちイエスさまから買いなさい、と勧められています。
この勧めを受けるためには、自らには「火で精錬された」すなわち純粋な「金」が必要である、また自らは「裸の恥」の状態である、さらに「目が見えない」者、それが私である、ということを知らなければなりません。
これは「ラオデキアの教会」に向けて書かれている文書の一節です。ラオデキアの教会は、「生ぬるい」教会で、「自分は富んでいる、豊かになった、足りないものは何もないと言っているが、実はみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸であることが分かっていない」といわれなければならない教会でした。
生ぬるいから、熱いか冷たいかであってほしいといわれているので、そのどちらかを追求しなければならないような気になりますが、それよりも、イエスさまのまえに、自らの貧しさ、惨めさ、見えていないことを素直に認め、イエスさまに満たしていただくことを求めることが大切でしょう。イエスさまから純粋な金、すなわちこの世の価値観ではない富、白い衣、すなわちイエスさまによるきよめ、目薬、すなわち信仰の目をいただくということでしょう。
信仰に生きるということは、本当の人間になることです。それは自らが神にならない、自分は富んでいる、豊かになった、足りないものは何もないとはいわない、ということでしょう。イエスさまがいてくださらなければ、イエスさまの愛をいただかなければ一瞬たりとも生きることができないことを、しずかに受け入れているということです。
そうしてこそ、隣人と共に生きる道がひらかれます。
昨日は、今年最後の主日礼拝となりました。先週のクリスマス礼拝に続いて雪の日曜日となりました。雪の中、来会された方々、無事に帰宅されたでしょうか。祝福を祈ります。また幾人もの方が交通事情で来れなかったでしょう。それぞれのところで礼拝の時がもたれたでしょうか。祝福を祈ります。
この年は、2月に一人の姉妹が病に倒れられました。その快復の祈りの中でご主人が信仰を持たれ洗礼の恵みにあずかられました。7月には私自身が病に倒れてしまいました。たくさんのご心配とお祈りをいただきました。こうしてクリスマスの諸行事を終え一年を終えようとしていることを感謝しています。
昨日は説教で、ヘロデ大王のように自らを王とする者は、隣人を殺していかなければならなくなる、それは幼な子イエスさまを殺すこと、つまり神を殺すことになる、ヨセフのように自らを柔らかくしてみことばに従う者となろう、というようなお話をしていたように思います。
先日妻とテレビを見ていて、その時何か重要なことを思いついて妻に話しかけると、妻はテレビに集中していて返事が返って来ませんでした。それが少し面白くなく思っていたのですが、今度は自分がビデオを見ていて、その時妻に話しかけられ、邪魔されたようで面白くなくなっていました。自分こそ王になろうとしていたなと反省しました。
今日も雪の一日のようです。お出かけの方はお気をつけて。今週はいつもの月末の団体会計作業とともに団体の先生方の年末調整作業を行います。一年が守られたことも感謝です。