静まりの時 2021年12月11日(土)
先日は、この11月に同じ病に倒れられた同労の先生ご夫妻が訪ねてくださいました。退院の翌日に、はるばる兵庫から滋賀まで来てくださいました。突然の来訪でしたので、あいにくウォーキングに出ていて、すれ違いとなってしまいました。いろいろとお話も伺いたかったことですから、大変残念でした。
それにしても遠路運転してこられたことに少なからず驚きました。私の場合、退院翌日に、わずか6キロほどの入院していた病院に支払いに運転しただけで、寝込んでしまいました。また2回目の診察、つまり2か月が経過していても主治医からは県内から出ないように、どうしてもというならば隣の県ぐらいにしておいてください、といわれていたものですから。お若いからか、気力がみなぎっているからか、やはり信仰の深さのゆえか。どうして自分はこうなのだろうかと、ちょっとがっかりしていました。まあこれが自分なのだから仕方がないのですが。それはそうとしてやはり元気にしておられることはうれしかったです。本当によかったな、と思いました。忙しくしておられる先生ご夫妻のために、続いてお祈りしたいと思います。
今朝は以下の聖句がデボーションテキストに記載されていました。
「ですから、あなたがたは神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神は、ちょうど良い時に、あなたがたを高く上げてくださいます。」(第一ペテロ5章6節)
そしてスポルジョンの言葉として以下のことばが心にとまりました。
「私は、時に責任の大きさに圧倒されます。しかし、神は全能の方です。私はその責任を背負うことはできません。しかし、神には可能なのです。」
(スポルジョン、『いこいの水のほとりにて』、487頁f)
信仰に生きるということは、神さまに信頼し神さまに御頼りして生きるということですから、私の為すべきことは、ただへりくだって主イエスさまをあがめ、賛美していればよいのだな、とあらためて思いました。
末娘が昨年就職しはじめてのボーナスでペアのマグカップをプレゼントしてくれました。手紙付きだったので、ちょっと感動したのですが、そのカップを先日落下させてしまい、ひびが入りました。いぜんに、別の娘がガラスのコップをプレゼントしてくれたときには、割ってはいけないと思って使わなかったら、その娘から、使うためにプレゼントしたのだからじゃんじゃん使って、割れたら割れたときのことよ、といわれました。それで、今回このマグカップは、丈夫そうに見えたのもありますが、毎日朝のコーヒーを飲むのに使ってきました。
なんとか修理はできないものかと、漆による金継ぎ(?)などの方法もあるのかもしれませんが、素人にはハードルが高そうです。またいろいろなボンドも調べてみましたが、食品を扱うものには使わないように明記されています。結局、結束バンドで応急処置をして、ひびの個所からにじみ出るか出ないかぐらいで、コーヒーを飲み干す、ということで使い続けることになりました。
今度娘が帰省したときには、大切に使っていることをアッピールしたいと思います。
昨日のウォーキングにて。お空がきれいでした。
左が西の空で、右が東の空です。