静まりの時 2021年11月1日(月)
小学校高学年ごろから視力が落ちてきてメガネをかけるようになりました。中学では部活動(サッカー部)の時などは危険なのではずしていたのですが、視力はどんどん落ちてきて、ぼわーんとしか見えないなかでの部活動でした。まあそれはそれで大きな問題ではありませんでした。高校では誘われるままにサッカー部に入部したのですが、1日でやめて、美術部(美術班と呼ばれていました)に入りました。視力はさらに低下していたので、デッサンなどをするのに問題が出てきて、コンタクトレンズにしました。それ以降も徐々に視力の低下は進んでいるのだと思いますが、このところは老眼も入ってきてややこしくなってきています。
今回の入院で少し苦慮したのが、この視力の問題でした。コンタクトレンズでは視力がまあまあ出るのですが、メガネでは十分な視力が出ない、またふだんあまりメガネで生活しないので、あわないメガネとなっている、ということで、コンタクトレンズをつけることができる時期までは、ぼわーんとしたなかでの入院生活でした。
そんなことで、これからはメガネでの生活を中心としようと思いたち、メガネを新調するために久しぶりに眼科に受診しました。眼科では丁寧に視力を測ってくださいました。結局、メガネでは十分な視力が出ないことが再確認され、コンタクトレンズでの生活が続くことになりましたが。今回新しく知ったことですが、目にも「利き目」というのがあるということです。私の場合は左目が利き目でした。そういえばコンタクトやメガネをはずしたときに、何かをしっかりと見ようとすると、知らず知らずのうちに、左目を近づけていることを思い出しました。私の場合、右目の方が視力が出ないので、ちょうどよかったようです。
金曜日はそんなことで午前中を過ごし、午後は午前にいただいたメガネの処方箋をもってメガネを買いに行きました。いくつかのメガネ屋さんが八日市にはありますが、最近できたインターチェンジ近くのメガネ屋さんに今回行ってみました。コンタクトレンズもそうですが、メガネもレンズの度数が一般的ではないので、取り寄せとなります。
昨日は主の日、礼拝の日でした。毎回そうですが、共にささげる礼拝に励まされます。
早朝礼拝は、私の体調の関係でお休みしていますが、何人かの方がご来会下さり、少しお話しされたり、それぞれに礼拝、祈りの時を持たれていました。また私の負担とならない形での、早朝礼拝の持ち方を提案くださる方もおられ、感謝でした。その新しい早朝礼拝の持ち方について、前向きに検討したいと思います。
礼拝後、ハンナの花畑の方々の呼びかけで、教会式内にあるゴミステーションの横に、ブルーベリーが植えられました。実を結ぶのが楽しみですね。また沢山のねぎが届けられました。みなさん、それぞれにお持ち帰りくださいました。日曜日の昼は、いろいろとあって昼食が少し遅くなってしまいます。美味しいお刺身をいただき豪勢な昼食となりました。感謝です。
昨日は選挙の日で、投票所となっている近くの中学校に徒歩で往復しました。二週間前にも選挙があり、その時も歩いて同じ投票所に行ったのですが、その日は気温も低かったこともあり、ちょっとしんどかったことを覚えています。それに比べると昨日は調子よく歩くことができました。これをこの日のウォーキングとしました。
今朝はデボーションで以下の聖句が記されていました。
「ただ、『天使たちよりも、わずかの間、低い者とされた』イエスが、死の苦しみのゆえに、『栄光と栄誉の冠を授けられた』のを見ています。神の恵みによって、すべての人のために死んでくださったのです。」(ヘブライ2・9)
十字架の主に、神さまの栄光を見る、ということでしょうか。その十字架の栄光から目をそらさない、ということでしょうか。とかくきらびやかなものに目が向くものですが、人びとから見捨てられるような主の十字架にこそ、神さまの栄光をしっかりと発見していきたいと思いました。
ここしばらく、穏やかな気候が続いているので、からだが楽です。今日も少しずつ前進していきます。