悲しみに満たされたときには、大いに涙を流しなさい

友よ、あなたは泣いてもよいのです。なぜなら主イエスも涙を流し、泣かれたことがあったからです。ラザロのその後の幸いを十分承知し、そのよみがえりを前もって知り、またこの死を通して神の栄光が現されることをも十分確信していたにもかかわらず、それでも主は涙を流されたのです。
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悲しみに満たされたときには、大いに涙を流しなさい。そして、泣きなさい。これは祝福に満ちた命令なのです。

C・H・スポルジョン、『いこいの水のほとりにて』、324頁f

2021年8月17日(月)

キリスト者の葬儀は、天国への希望を新たにされるときですが、だからといって涙を流すことを否定することではありません。むしろ大いに悲しむことができる、涙を流すことができる、安心して悲しむことができる、それがキリスト者の葬儀である、と思います。

昨日は午前に、本部(ヘブロン)の浄化槽の点検があり、立ち合いと支払いのために、妻の運転で本部に行きました。約一か月ぶりの本部で、草が元気よく伸び放題でした。自然の力を感じます。こぼれた種か球根からでしょうか、百合が花を咲かせていました。入院前に選定した植木も新しい葉を出していました。銀行と買い物をして帰宅しました。元気です。
午後は「心臓リハビリテーション(上級)」というYouTubeからの動画に合わせて、体操をしました。いままでは初級だったのですが、今回は上級ということで少しきついかなと思いました。その後、市役所まで歩こうと出かけ、札の辻の信号から北に田んぼ道を歩きました。が、途中でしんどくなり、家族に迎えに来ていただくことになりました。約1キロほど歩いたことになります。いまの段階では1キロが限度なのかもしれません。といことは、安全に帰宅するためには、片道500メートルのところを想定して歩くのが良いということですね。ネットで調べると教会からサンミュージックまでが約700キロということなので、これを目標にするのがよいと思いました。
アマゾンの古本で注文した、小堀杏奴『冬枯れの美』が届きました。著者の小堀杏奴は、森鴎外のお嬢さんで、49歳の時にカトリックの洗礼を受けた方です。女子パウロ会からの発行ですが、古本でしか手に入らないようでした。
今日も調子よく過ごさせていただきました。ただ起き立ての血圧が上95前後、脈拍が40代で、しんどくはないのですが、少し不安です。寝る前も、このところ同じ感じです。さすがに脈拍は50を越えますが。降圧薬を飲んでいるので、こんなもんなのでしょうか。

「イエスは涙を流された。」(ヨハネ11・35)