信仰ゆえに多くの苦難に耐えなければならない場合であっても、また魂が力を失ってしまうようなことがあっても、あなたは自分を責めてはなりません。・・・無気力の状態に陥るのには理由があります。勇敢な戦士は、戦いを経験することなしに作り上げられません。有能な船乗りも、陸地での訓練では出来上がりません。優れた信仰者になりたいのであれば、多くの試練を経験しなければなりません。あなたが神の国のことに習熟したいのであれば、経験から多くのことを学ばなければならないのです。掘り出されたばかりのダイヤモンドは、鈍い輝きしかありません。トウモロコシも、収穫されたままでは食べることはできないのです。
C・H・スポルジョン、『いこいの水のほとりにて』、46頁f
2021年1月28日(木)
神さまを信じることは、神さまを愛することです。神さまを愛することは、隣人を愛することにおいて明らかにされます。いずれの愛においても欠けのあるのが私たち人間です。ですから神さまから、まず愛をいただいて愛とは何か、いかに自分が愛のない者であるのか、を学ばなければなりません。聖書を読む、ということは、そのような愛を学ぶということです。愛とは何か、いかに自分が愛のない者であるのかを、聖書を読むことによって学ぶのです。そうでなければ聖書を読んだことにならないのではないか、と思います。
聖書の逐次霊感説的な読み方には、ときおり、自分の考えを強化し、そうでない隣人を攻撃するために聖書の言葉を利用している、ということが起こるのではないかと思います。
信仰の試練をとおして、神さまは聖書の言葉の深さ広さを教えてくださり、より神さまを愛し隣人を愛するものへと私たちを導いてくださいます。
「しかし、今となっては、あなたの王権は続かない。主は御心に適う人を求めて、その人を御自分の民の指導者として立てられる。主がお命じになったことをあなたが守らなかったからだ。」(第一サムエル記13・14)