地上的な慰めは一時的なものでしかありません。私たちが所有するものはすべて神のものであり、すべては神からの借りものにすぎないからです。
・・・それらを握りしめることなく、あたかも持っていないかのように所有しようではありませんか。
C・H・スポルジョン、『いこいの水のほとりにて』、37頁f
2021年1月22日(金)
所有ということは、よくよく考えてみると、幻のようなものです。死ぬときには何も持って行くことができないからです。すべてのものを地上に置いていかなければならないのなら、所有していたと思っていたものは、結局のところ借りものだったのです。
では持って行くことのできるものは何もないのでしょうか。結局のところ、神さまへの信仰だけではないだろうか、と思います。その信仰も、私が信じた、という私が握りしめている何かではなく、神さまが私を愛していてくれるという、神さまがお持ちの愛、その愛に包まれているということ、その愛の中に安心しているということ、そのような信仰だけが死ぬときにもっていくことのできるものではないかと思います。
「ミカは、『あなたたちはわたしの造った神々と祭司を、奪って逃げた。わたしにはもう何もない。何事かとはよく言えたものだ』と言った。」(士師18・24)