マタイによる福音書は主の誕生の次第と言いながら、ただ父となったヨセフの困惑、悩みを描く。自分の義しさを貫くのにどうしたらよいか。しかもマリアが制裁を受けずに済む道はないか。誰にも告げないでひとりで悩んでいたに違いない。そのヨセフが夢で天使の告知を聴いた。恐れることなく、神のご意志を受け入れるようにと励まされた。慰めを受けた。もちろんまだ若かった。この若者の苦悩が、神の子が地上に生まれるために不可欠であった。恐れずに妊(みごも)ったマリアを愛をもって迎えることによって神の愛の奇跡に最も近く立ち会うことが許されたのである。
加藤常昭、『み言葉の放つ光に生かされ』、374頁
2020年12月19日(土)
ヨセフの困惑、悩み。それが神の愛の奇跡に最も近く立ち会うこととなる道にあった、ということです。人生の悩み、しかも自分の義しさを貫くための悩み。それが神さまとの出会いを生み、神さまの愛の奇跡にあずかる道をひらくのです。
「イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。『ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。』」(マタイ1・18-20)