静まりの時
- テーマ:主のいやし
- 聖書箇所:マルコ5・1~15
- 日付:2026年09月08日(火)
2 イエスが舟から上がられるとすぐに、汚れた霊につかれた人が、墓場から出て来てイエスを迎えた。
異邦人の土地に上陸されたキリストを、まっさきに迎えに来たのは「汚れた霊につかれた人」でした。
この人は「墓場から出て来てイエスを迎え」ました。
「墓場」とは生きた人間の住むところではありません。この人はその墓場に生きていました。しかし死んでいたのも同然の中にいたのです。
その「墓場」から「出て来た」のです。何がそうさせたのでしょう。自らの力で墓場を出発することができたのは、キリストの到来の知らせ、だったのだと思います。
その後のキリストとの対話の中で彼の語ることばはキリストを拒否するようなことばでした。しかし、自らが墓場から出て来たこと、そしてまっさきに迎えに来たことを考えると、単純な拒否ではなかったのだと思います。ことばでは拒否しつつも、そのことばにならない深い思いの中では、救ってほしいとの叫びがあったのだと思います。
すべての人は、本人に自覚があるかないかはともかく、救いを求める人です。墓場のようなところにしか住むことの出来ない人です。キリストの光はすべての人に届き、その人を立ち上がらせます。
この異邦人の地には、ほかにイエスさまを迎える人がだれひとりいませんでした。私は主を迎えに行く者であるだろうか・・・。