静まりの時 2022年2月4日(金)
申命記6・10~15
「あなたの神、主は、あなたの父祖、アブラハム、イサク、ヤコブに誓われた地にあなたを導き入れ、あなたが建てたのではない、大きくてすばらしい町々、あなたが満たしたのではない、あらゆる良い物で満ちた家々、あなたが掘ったのではない掘り井戸、あなたが植えたのではない、ぶどう畑とオリーブ畑、これらをあなたに与えてくださる。それであなたは、食べて満ち足りるとき、気をつけて、エジプトの地、奴隷の家からあなたを導き出された主を忘れないようにしなさい。・・・」
(申命記6・10~12、新改訳2017)
今こうして生かされていることは、すべて神さまがなしてくださったことによる、自分は神さまがなしてくださった良いものをただ一方的にいただいているのだ、そのことを忘れてはいけない、それを与えてくださった神さまを忘れてはいけない、と聖書は語ります。ここに健やかに十戒に生きる、聖書の御言葉に生きる、そして人生を生きる道が記されています。
神さまの一方的な愛のわざに自分が生かされていることを忘れないなら、いつも感謝に生きることができるでしょう。一方、自分の功績である、と思うなら高慢になり、頑張っていないと見える人をさばき始めるでしょう。ともに生きる道が難しくなるでしょう。
人生、自己責任と思いたくなる場面もあるかもしれません。しかしこうして生かされていること自体、不思議なことです。神さまのあわれみなくして成り立たないことだと思います。そのことを忘れないでいましょう。
昨日は、教会花壇の草取り作業が行われました。寒さの中、ご苦労さまでした。椿も沈丁花も花芽をつけていると以前に書きましたが、アジサイもその枝の先端にはすでに「芽」ついていますね。感心します。植物は、この寒さの中にも、春に向かって準備を進めています。彼らはいつも希望に生きています。
ここ数年、教会のトイレで、時々手洗いの水が出たままになっていたり、使用後の水が流されていなかったりということを発見するようになりました。自動水道、自動トイレ洗浄が増えていますので、無理もない事です。校園でも自動化が進んでいるそうです。感染症対策もあってかさまざまなところで加速されている自動化は、それはそれで大切なことなのかもしれませんが、難しい場面も生まれますね。それで注意喚起のプレートを5枚ほど作成してほしいということになりました。イラストをつけようと思ってネット上を探してみたのですが、良いなと思うものは有料かまたは無料でも会員登録が必要で、結局自分で描くことにしましたがいかがでしょうか。少しでもお掃除してくださる皆さんの負担が軽減されればと願っています。