静まりの時 2021年9月9日(木)
過去に受けた試練、また将来受ける可能性のある試練に関して神の恵みを信じることは簡単なことです。しかし、差し迫った必要性に対しても神の恵みと導きを信じられることが本当の信仰です。
C・H・スポルジョン、『いこいの水のほとりにて』、356頁f
私たちは、過去、現在、将来と、時の流れの中で生きているようですが、実際は現在に生きているというのが実態のはずです。しかし過去の出来事にとらわれ、その記憶の中に生きてしまうといことがあります。また将来を夢見て生きるということもあります。いずれも大切な意味があると思いますが、それが現在に生きるということを難しくしてしまっているとすれば、いま一度現在に生きるということはいったいどういうことであるのか、を考えなければ、人生を生きることにならないのではないかと思います。
将来にビジョンをもって生きるということは大切なことですが、それが現在を生きることになっていない、目の前の問題から目をそらせることになっているとすれば、それは聖書の語る信仰に生き方とは少し違うのではないかと考えさせられます。
今を生きる、そのためには、やはり信仰が必要である、ということでしょう。
差し迫った必要性に神さまの恵みと導きとを信じること、そうして誠実に目の前の問題に取り組んでいくこと、それが主イエスさまにある者の生き方なのだと思います。
そうしてこそ「いのちに至らせる良い香り」を放つ者とならせていただけるのでしょう。
火曜日のワクチン接種から一夜明けた昨日は、多くの情報のように、次第に接種箇所に痛みが増していき、夕刻には左手があげられない状態となりました。しかし私の場合、先週の金曜日から接種した腕とは反対の右腕の肩からひじにかけての筋肉に痛みが出ていたので、その痛みと同じ程度の痛みで、まあこんなものかという感じでした。今朝は少しやわらいでいる感じです。いずれにせよ心筋梗塞の痛みからすれば、らくちんとはいえないにしても大丈夫ですね。
昨日はそんな中でしたが、夕刻のウォーキングに加えて、昼に雨の中を歩くことになりました。滋賀銀行の八日市東支店から駅前の方ですから1キロほどでしょうか。傘を差してはいたのですが、雨脚は強くすっかり濡れてしまいました。ただ、雨の中を歩くことは、そんなに苦なことでもありません。雨雲のもと、雨や風、光を感じながら歩くことで、生きているな、生かされているな、と感じることができますね。
小学校、中学校とサッカークラブ、サッカー部に所属していた時、槍が降らない限り試合はある、と先輩に言われました。それで雨でも雪でもグランドに出るのです。猛暑の中で雨に打たれることは本当に気持ちがよいものです。冬、雪降る極寒の中、溶けかけた雪でじくじくとしたグランドに立ち、身体の芯まで凍えつつ、ボールを追いかけるということも、健康だからこそゆるされる喜びですね。
今、早朝は雨が降っていますが、予報では上り調子とのこと。よい一日でありますように。
「滅びる者には死から死に至らせる香りであり、救われる者には命から命に至らせる香りです。このような務めにだれがふさわしいでしょうか。」(2コリント2・16)