水泳が水の中でしか学べないように、従順は神の意志を実行し、苦しみ悩むことによってしか学ぶことはできません。また、この従順は経験の学校というところでなければ、たとえ大学に通ったとしても身につけることはできません。日頃の主にある経験があなたを訓練し、内容を豊かにします。
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主の従順を知ることによって実際的、経験的、個人的に主なる神への従順を学ぶことができるようになります。これらすべてにおいて、主はわれわれに近づいて来てくださいます。C・H・スポルジョン、『いこいの水のほとりにて』、209頁f
2021年5月27日(木)
人間は「教える」ということが好きです。しかし「教えられる」ということは案外苦手なのかもしれません。「教える」ということの中には高慢が潜んでいる場合があります。逆に「教えられる」ということは謙遜が必要とされるでしょう。もしどうしても教えなければならないという責務が与えられたならば、少なくとも自分が教えられたということをお分かちする姿勢を保つことが、その責務を全うする道でしょう。
「あなたの子らは皆、主について教えを受け あなたの子らには平和が豊かにある。」(イザヤ54・13)