何事であれ喜んで事に当たる人

神は私たちに思い煩いや疑いをもたないようにと望んでおられます。落胆すると私たちは、これらの病の餌食となってしまいます。この病を軽視してはなりません。ただちに魂の医者である愛する主なる神のところに行きなさい。主は私たちを悲しいままにしてはおかれません。・・・疑いと臆病という病は、主の群れの中にたちまち広まってしまう恐ろしい伝染病です。・・・さらに、何事であれ喜んで事に当たる人にとって労働は厭うべきものではなくなります。成功は喜びのしもべなのです。・・・

C・H・スポルジョン、『いこいの水のほとりにて』、35頁f

2021年1月20日(水)

主の御心に導かれて生きるためには、強く、雄々しくあらねばならないと聖書は語ります。強く、雄々しくあるとは、思い煩いや疑いから自由になり、喜びに満ち溢れて生きるということでしょう。そのような信仰の歩みにこそ確かな道がひらかれます。

「ただ、強く、大いに雄々しくあって、わたしの僕モーセが命じた律法をすべて忠実に守り、右にも左にもそれてはならない。そうすれば、あなたはどこに行っても成功する。」(ヨシュア1・7)