ふさわしい試練

神は、か弱い肩に重い荷を背負わせることはなさいません。むしろ、私たちの信仰が深まる度合いに応じて、ふさわしい試練を与え、訓練し、試されるのです。・・・嵐の中でも航行できる装備が整えられるにしたがって、神は長期にわたる航海のために、荒れ狂う海へとあなたがたを送り出します。そうすることによって、あなたがたは神を敬い、神への聖なる信頼を深めることができるようになるのです。

C・H・スポルジョン、『いこいの水のほとりにて』、11頁

2021年1月2日(土)

試練という言葉から、私たちは単純に、困難、苦しみ、病気、問題などを思い浮かべます。しかし聖書はそういうものを試練と呼んでいるというよりも、そういう中にあっても神さまのみ言葉に従うということを、試練と呼んでいるのだと思います。どのような困難の中にあっても、神さまを信頼し、神さまのみことばに従い得るかどうか。それが試練なのです。その試練を乗り越えることによって、私たちの人生はより深く神さまと結びつき、平安と喜びに満ちたものとなるのです。

「これらのことの後で、神はアブラハムを試された。」(創世記22・1)