その未来もまた主イエスの手のうちにあるのだから、主イエスに案内されて生きるならば、むしろ、私たちのうちに日々の成長があるばかりであると言うのである。・・・私たちこそ神の家! 何と誇らしく喜びに満ちた言葉であろう。望み見る将来は私たちの主の手のうちにあり、今私たちはその主の支配のもとにある。
加藤常昭、『み言葉の放つ光に生かされ』、367頁
2020年12月12日(土)
これからのことを、未来と将来という二つの言い方があります。未来は、未だ来ていない、という意味で、将来は、将に来たらんとする、という意味でしょう。未来よりも将来の方が、力強く希望に満ちているような気がします。信仰者は、昨日も今日も、これからもずっとともにいてくださる主イエスさまを信じているのですから、将来という言葉がふさわしいのでしょう。
「キリストは御子として神の家を忠実に治められるのです。もし確信と希望に満ちた誇りとを持ち続けるならば、わたしたちこそ神の家なのです。」(ヘブライ3・6)