竹森満佐一牧師が、ある説教のなかで、信仰に生きるようになると、人生の向きが変わる。「遣わされて生きる」ことを覚えるようになると言われたことがある。主に遣わされたからここにおり、このように生きる、生き方を知るというのである。そうなると、いつも主に派遣されている使命を自覚するようになる。
加藤常昭、『み言葉の放つ光に生かされ』、344頁
2020年11月21日(土)
今私がここにいるのは偶然ではなく、神さまの遣わされているのだ、といいます。このことを自覚することが信仰生活である、というのです。人間は、自分勝手に自分の思いだけで生きようとしてきたのだと思います。しかし洗礼を受けると、どのようないきさつで始まった歩みであろうとも、神さまに遣わされてここにいる、ということを覚えるようになるのです。ですから神さまから与えられた使命を考えるようになります。
「コリントにある神の教会へ、すなわち、至るところでわたしたちの主イエス・キリストの名を呼び求めているすべての人と共に、キリスト・イエスによって聖なる者とされた人々、召されて聖なる者とされた人々へ。イエス・キリストは、この人たちとわたしたちの主であります。」(第一コリント1・2)