私たちの知恵では信仰は計りがたい。「信仰がない」と言うのが真実かもしれない。だがそれを主に委ねるのである。
加藤常昭、『み言葉の放つ光に生かされ』、292頁
2020年10月1日(木)
自分の信仰を機械のようなもので計ることはできません。そういう意味では信仰は客観的なものではなく、主観によるものである、と言えるのかもしれません。しかし主観というと、自分が計るということになるのだと思いますが、聖書は、どうもそうとも語っていません。信仰がないということが客観的にも主観的にも真実であったとしても、そのことも主イエスさまに委ねることができる。それが聖書の語っている信仰なのです。
「その子の父親はすぐに叫んだ。『信じます。信仰のないわたしをお助けください。』」(マルコ9・24)