神の言葉によって生かされる者は、肉体を含む全存在が神の手によって生かされることを知る。
加藤常昭、『み言葉の放つ光に生かされ』、261頁
2020年9月2日(水)
霊と肉とをわけて考える霊肉二元論は、現代のキリスト教会の中にさまざまな形で入り込んでいるのかもしれませんが、霊肉二元論は聖書の語る信仰ではありません。肉体を含む全存在が神さまの御手の中にある、神さまの御手の中で生かされる、それが聖書の語る信仰です。ですから私たちは肉体を汚れたものとして扱うことをしません。神さまから与えられた、預けられた大切なものとして扱います。
ですから私は定期検診を受けます。(受けない方をとやかく言うつもりは全くありません)。ことしは非常勤講師でお世話になっているところが、受けさせてくれたのでそちらで済ませました。毎年は、正規雇用をいただいている団体の社会保険の関係で受けてきました。神さまから預かっているからだを、できるだけしっかりと使い切りたいからです。もし大切な人からピカピカの新車を一時的に預かったならば、与っている期間、大切にするでしょう。肉体もやがて神さまにお返しするのですから、地上での数十年の間、大切に扱うのがキリスト者としての本分です。
「主はあなたを苦しめ、飢えさせ、あなたも先祖も味わったことのないマナを食べさせられた。人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きることをあなたに知らせるためであった。この四十年の間、あなたのまとう着物は古びず、足がはれることもなかった。」(申命記8・3,4)
「というのは、神がお造りになったものはすべて良いものであり、感謝して受けるならば、何一つ捨てるものはないからです。神の言葉と祈りとによって聖なるものとされるのです。」(1テモテ4・4,5)