圧倒的な権力を誇り、自分を神と拝むことを強制したローマ皇帝ドミティアヌスに追われてパトモスの島にあった伝道者ヨハネは宮殿も持たず、武装した部下もいない。仲間の小さな群れと共に礼拝をしていた。ご自身の血を注いで自分たちを罪から解き放ってくださったキリストの愛のなかにあった。そして、それは私たちをすべて王とするわざであったという。救われるということは罪人がいきなり王となることであった。もはや何者にも支配されることはない。・・・この王たちは、しかし、仕えることを知っている。キリストの父である神に仕え抜く。教会は、この王たちの集団である。
加藤常昭、『み言葉の放つ光に生かされ』、235頁
2020年8月8日(土)
罪から解放して下さったこと。そして父なる神さまに仕える祭司として下さったこと。この二つが同時に起ったこと。それが救われるということである、と聖書は語ります。
「わたしたちを愛し、御自分の血によって罪から解放してくださった方に、わたしたちを王とし、御自身の父である神に仕える祭司としてくださった方に、栄光と力が世々限りなくありますように、アーメン。」(黙示録1・5、6)