教会は神の家族

教会は神の家族、これは観念、理念ではない。私たちの具体的な愛として現れる。助け合うこと、支え合うことを知らない家族は家族ではないのである。

加藤常昭、『み言葉の放つ光に生かされ』、181頁

2020年6月18日(木)

家族という集団は、この世のさまざまな集団とくらべて特徴的です。この世のさまざまな集団は、おおよそその集団となるべき目的を持っています。その目的にかなった人材が集められます。あるいはその目的に従って集まってきます。しかし家族という集団は、まず生まれてきたということが土台であり、いわゆるこの世のさまざまな集団にあるような目的がありません。もし特定の目的があって、それにかなわなければ家族でなくなるということは、家族という集団においてはおかしなことでしょう。

教会が家族である、ということは、いわゆるイデオロギーや活動の目的というものに従って集められた、あるいは集まった集団ではないということです。

ですから、一見ばらばらである、ということが教会というところにおいてはとても大切なポイントではないかと思います。それでいて小さなところでは支え合ったり助け合ったりしている、祈りの輪を作っている、そうして、イエスさまが要石として、おられる。それが教会なのです。

「従って、あなたがたはもはや、外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する者、神の家族であり、使徒や預言者という土台の上に建てられています。そのかなめ石はキリスト・イエス御自身であり、キリストにおいて、この建物全体は組み合わされて成長し、主における聖なる神殿となります。」(エフェソ2・19-21)