あくまでも裏方であり

あくまでも裏方であり、それ故に知る喜びである。その奇跡によって生まれる人びとの喜びを自分の喜びとする喜びである。

加藤常昭、『み言葉の放つ光に生かされ』、164頁

2020年6月1日(月)

主の言葉に従った「召し使いたち」だけが、この奇跡を経験しました。この奇跡の恵みを経験しました。この奇跡によって人びとが喜びに満たされたことを知りました。そしてその喜びを生み出すことに用いていただいた喜びを得ました。人知れず主のみことばに従う者だけが、信仰の喜びを知るのです。

「イエスが、『水がめに水をいっぱい入れなさい』と言われると、召し使いたちは、かめの縁まで水を満たした。イエスは、『さあ、それをくんで宴会の世話役のところへ持って行きなさい』と言われた。召し使いたちは運んで行った。世話役はぶどう酒に変わった水の味見をした。このぶどう酒がどこから来たのか、水をくんだ召し使いたちは知っていた・・・」(ヨハネ3・7-9)