キリストがまことの神であられ、自分を贖ってくださる主であることを知るとき、自分が誰であるかも知ることができた

キリストがまことの神であられ、自分を贖ってくださる主であることを知るとき、自分が誰であるかも知ることができた。そこに至るまで、教会の群れのなかにありながら、何年もかかっている。この歩みは貴重である。こうして片岡は歴史に残る長老となった。帝国議会議長になったとき開会に先立って議長席にてひとり祈ったと伝えられるひとともなったのである。

加藤常昭、『み言葉の放つ光に生かされ』、79頁

2020年3月12日(木)

神さまとの交わり、イエスさまとの交わりをとおして、神さまがどのようなご存在であるかを知り、イエスさまがどのようなご存在であるかを知り、そうして自分自身のほんとうの姿を知るのです。神さまを知らずに自分を知ることがないのです。

たとえば鏡の前に立ってはじめてわたしたちは自分の姿を見ることができます。そういうことでは神さまは鏡のような存在です。

あるいはものの長さや重量をしろうとすると、定規や秤が必要です。そういうことでは神さまは定規や秤のような存在です。

しかしそれ以上の存在です。神さまの愛に出会わなければ、自分の価値が分からないのです。あるいはこの世のいろいろなもので自分の価値を計ることになるので、つねに不安定なことになるでしょう。ときに間違って自分を捕えてしまうことになるでしょう。

私たちは今日も深くイエスさまとの交わりのなかに生かされていきます。

「わたしたちはこの御子において、その血によって贖われ、罪を赦されました。これは、神の豊かな恵みによるものです。」(エフェソ1・7)