神を信じないとき、涙も渇いたのである。こころが凍ったからである。こころは凍っても安息を得る。絶望が生んだ安息でしかない。言い換えれば、神を信じる者こそ真実の悲しみを知る。涙が流れる。こころが凍っていないからである。・・・主イエスこそ悲しみのひとであった。この主の悲しみに倣って私たちは初めて真実の悲しみを知る。悲しむことを学ばせていただく。そこで慰められるのである。
加藤常昭、『み言葉の放つ光に生かされ』、76頁
2020年3月9日(月)
悲しむことが否定的に語られるならば、私たちは真実の慰めを知ることがありません。
「悲しむ人々は、幸いである、/その人たちは慰められる。」(マタイ5・4)