神に向いて生きるとき、健康に生きる

自我を殺すことはない。禅の助けを借りて無に押し込むこともない。ただ神に向ければよい。・・・洗礼を受け、キリストと共に死んだ者は、ただ神に向いて生きるとき、健康に生きるのである。

加藤常昭、『み言葉の放つ光に生かされ』、65頁

2020年2月28日(金)

プロテスタント・キリスト教会でとくにきよめ派と言われるグループでは、時おり聖会などという集いがあり、そこでは罪の告白と悔い改めの時がなされます。そして自我を殺すということが言われたりします。

自己中心から解放されるということでは大切なことなのだと思いますが、自我を殺すとなると、自分自身でなくなってしまうと理解されることもあるように思います。

今朝のこのデボーションの個所では、ヘルマン・ホイヴェルス司祭の書物を引用して、自我を殺すのではなく、また閉じ込めてしまうのではなく、神さまに向かうことが大切である、と語っています。

何するにも神さまに向かうこと、自分自身のすべてを神さまに向かわせること、神さまに対して生きているのだ、ということ。それが大切なことなのでしょう。そうしてこそ健康に生きる、心身ともに健康に生きることができると語ります。

「このように、あなたがたも自分は罪に対して死んでいるが、キリスト・イエスに結ばれて、神に対して生きているのだと考えなさい。」(ローマ6・11)