まず大切なのは、足を自由にさせない絡みつく罪を、かなぐり捨てることである

前途に見る目当て、それは主イエス・キリストご自身である。・・・目当てを与えられて私たちは走る。長距離競走である。だから忍耐が要る。・・・まず大切なのは、足を自由にさせない絡みつく罪を、かなぐり捨てることである。・・・主イエスに罪を赦されているのだから、その原点に立てば、罪を振り払うことができる。その主イエスが完成してくださる道を走りだす。身軽になって!

加藤常昭、『み言葉の放つ光に生かされ』、62頁

2020年2月25日(火)

罪は赦されているので、その罪をかなぐり捨てることができるのです。赦されていなければ、かなぐり捨てることができないでしょう。

信仰生活は、罪の赦しの自由をいただくということですが、それは罪をかなぐり捨てる生活でもあるということでしょう。日々かなぐり捨てなければ、この「競走」を走り抜くことができないのです。

目当てであるイエスさまから目を離してしまうと、罪の赦しの確信があやふやになってしまい、かなぐり捨てることができなくなってしまいます。しっかりとイエスさまを見つめたいと思います。

「こういうわけで、わたしたちもまた、このようにおびただしい証人の群れに囲まれている以上、すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競走を忍耐強く走り抜こうではありませんか、信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら。」(ヘブライ12・1,2)