この刻印された恵みが、変りようがないと思っていた性格をも変えるのである

この練達という言葉を「キャラクター」という英語に訳したひとがある。更に日本語に置き換えると「品性」と言える。・・・キャラクターという英語のもとのラテン語は、刻印を意味する。教会における用語としては、「恵みの刻印」をおされることである。この刻印された恵みが、変りようがないと思っていた性格をも変えるのである。・・・神の愛がこころに注がれている。いつも注がれている。そのことを知り続けて生きるとき、神の愛が、こころに、存在の深みに刻まれる。そこに聖書の語る「練達の士」が生れるのである。

加藤常昭、『み言葉の放つ光に生かされ』、51頁

2020年2月14日(金)

この練達と訳されているギリシャ語は「ドキメー」で岩隈直の『新約ギリシャ語辞典』によると「1、真正(本物)であることの証明、確証。2、証拠。3、試験ずみ〔である事〕、(人物・信仰等の)確かさ、堅忍不抜〔である事〕、練達。」とありました。このローマ5の4ではおそらくこの中で3の意味に訳されているということでしょう。

忍耐が、その人物の確かさを育てていく、ということです。これは他の宗教や処世訓にあるような意味での人物の確かさではなく、神さまの愛が注がれていることによるものです。苦難が自動的に人を練達に育てるのではありません。苦難がかえってその人物をかたくなにし、ねじ曲げてしまうということもあるのです。忍耐が忍耐ではなく、単なる我慢であるなら無理もないことでしょう。苦難の中に神さまの愛が注がれていることを信じる者にこそ、忍耐が可能となり、練達が、そして希望が生れるのです。

「そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。」(ローマ5・3-5)