もしも望みたもうたなら、神には、溜息一つ漏らさぬストア派の哲人のような鉄の神経の人間として受肉されることも可能だったでしょう。しかし神はその大いなる謙遜から、ラザロの墓のかたわらで涙を流し、ゲツセマネで血の汗を流す、繊細な感受性の人間としての受肉を選ばれたのでした。
『影の国に別れを告げて―C.S.ルイスの一日一章』、中村妙子 訳、501-502頁
2019年12月26日(木)
イエスさまの受肉は、神さまがまさに私と同じ、いえ私以上に弱さ、侮辱、病、悲しみを知る人間になって下さったということです。ですから私たちはこの方によって慰めを得、力を得ることができます。
「彼は軽蔑され、人々に見捨てられ/多くの痛みを負い、病を知っている。」(イザヤ53・3)