正しいことと間違ったことの区別は

正しいことと間違ったことの区別は趣味や意見によって左右されるものではありません。

『影の国に別れを告げて―C.S.ルイスの一日一章』、中村妙子 訳、384-385頁

2019年10月2日(水)

私たちが生かされている世界には、さまざまな法則があります。それらは趣味や意見によって左右されるものではありません。善人にとっても悪人にとっても、1+1は1です。そのように生きる道においても善と悪の区別が歴然と存在するといいます。殺人は悪だと思います。しかし戦争時には敵兵を殺戮することは自国にとっては善とされることでしょう。時と場面の違いによって、善悪の基準も変わってしまうというのが、人間の世界なのだと思います。だからこそどのような時、どのような場面であっても変化しない善悪の基準を持たなければならないのだと思います。それは結局のところ絶対者である神さまの前に立たなければ持つことができないのだと思います。

旧約聖書の箴言の中以下のような一文があります。

「正しい人は地に住まいを得/無垢な人はそこに永らえる。」(箴言2・21、新共同訳)

「正直な人たちは地に住まいを得、/全き人たちは地に生き残る。」(箴言2・21、新改訳2017)

新共同訳で「正しい人」と訳されている言葉が、新改訳では「正直な人」と訳されていて、同じく新共同訳で「無垢な人」と訳されている言葉が、新改訳では「全き人」と訳されています。

正しいとは神さまに向かって正直にであること、また全き人とは、神さまの前に無垢であること、ということです。結局ところ、自分の中やこの世界の中の正しさではなく、神さまがお持ちになっている正しさを求めて行くことが大切なのだと思います。神さまの目に自分自身が「無」であることが大切なのだと思います。