さて私たちを創造なさった神は、私たちの真相がどんなものであるかを、また私たちの幸福が神御自身のうちにしかないことをご存知です。けれども私たちは、一見幸福が見出されそうな何らかほかの道が残されているかぎり、それを神のうちに求めようとはしないのです。私たちが<自分の人生>と呼んでいるものが快適でありつづけるかぎり、私たちはそれを神に差し出そうとはしません。とすれば、人生を私たちにとってあまり快適でないものになさり、見掛け倒しの幸福の源と思われるものを取り去るほかに、神は私たちのために何がおできになるでしょう? 神の謙遜―至高の存在が身を屈めたもうということ―が最も賛美に値するのは、神の摂理が一見きわめて苛酷に見えるときなのです。
『影の国に別れを告げて―C.S.ルイスの一日一章』、中村妙子 訳、337-338頁
2019年8月28日(水)
今日の個所は『痛みの問題』「6 人間の痛み」の中からです。
人生の置ける困難や苦しみは、私たち人間が神さまに近づくために、神さまご自身が与えられたものである、ということです。そしてそのような時は、至高の存在である神さまご自身が最も身を屈めておられる時である、といいます。
「卑しめられたのはわたしのために良いことでした。わたしはあなたの掟を学ぶようになりました。」(詩篇119・71)