というわけで、子どもは両親をジョンとか、メアリといった具合にクリスチャン・ネームで呼ぶべきだという現代風の考え方は、どう考えても邪道です。これは、有機体の真の統合は本質の相違あってこそ可能だという事実を無視しようとする試みです。そんな呼び方をすると、母親や父親も家族以外の誰かと同じように一市民にすぎないという途方もない観念を子どもに植えつけることになります。・・・家庭という、豊かで具体的な世界を、同じ顔ばかりが並ぶ集団の世界に無理に置きかえようとしているのです。
『影の国に別れを告げて―C.S.ルイスの一日一章』、中村妙子 訳、325-326頁
2019年8月19日(月)
そんな「現代風の考え方」があったのですね。英国には。
家族の中における、父と子の関係は、単に大人と子どもという関係では済まされないところがありますし、あるべきだということでしょう。お互いに掛け替えのない特別な存在なのです。神さまからお預かりしている大切な存在なのです。最終的には友情を育てて行くことが大切なのではないかと想像します。
「父親たち、子供を怒らせてはなりません。主がしつけ諭されるように、育てなさい。」(エフェソ6・4)