黙想に、また真の友情に飢えています

キリスト教は、ごく初期の文書中でもすでに制度的な特徴を示していました。教会はキリストの花嫁であり、私たちは互いに肢体(メンバー)なのです。
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現代人は実のところ、孤独、静寂、プライヴァシーに飢えている世界に住んでいるのです。したがって黙想に、また真の友情に飢えています。

『影の国に別れを告げて―C.S.ルイスの一日一章』、中村妙子 訳、318-319頁

2019年8月14日(水)

キリスト教信仰に生きるということは、教会生活に生きるということです。教会という組織には、たしかに組織ならではの問題もあるでしょう。しかし独りでいることを大切にできるためには、交わりが大切なのです。また交わりを大切にするためには、黙想の時が大切にされなければならないのです。おおよそ独りでいることのできない人は、隣人への愛に生きることが難しいのです。教会は人間的な交わりの部分がありますが、この世にあるさまざまな組織の中にあって、唯一天的な部分をもっている交わりでもあります。教会生活がなくて、信仰が育まれることはありません。教会生活のないキリスト教信仰は、独りよがりの偶像礼拝生活であり、隣人を愛する生活を生み出すことは難しいのではないでしょうか。

「だから、あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。」(マタイ6・6)

「互いに愛と善行に励むように心がけ、ある人たちの習慣に倣って集会を怠ったりせず、むしろ励まし合いましょう。かの日が近づいているのをあなたがたは知っているのですから、ますます励まし合おうではありませんか。」(ヘブライ10・24,25)