再臨というこの大いなる出来事が必ず起ると信ずる人は、その時期についてあれこれ憶測をめぐらさずにはいられないようです。何年何月何日にそれが起るという山師や神がかり的な似而非予言者(えせよげんしゃ)の託宣を頭から信じこんでしまう人も少なくありません。
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ちょうど聖パウロが『テサロニケ人への第二の手紙』を書いていたころ、そうした予言の一つが流布し、テサロニケの人々はその日が目前に迫っていると真しやかに吹きこまれていました。
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単純な、取りのぼせやすい人たちを相手にその日について語るときは、それについては予言はいっさいできないこと、できないということこそ、再臨に関する教義の不可欠の一部なのだと繰返し強調しなければなりません。
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再臨に関する主の教えが、三つの提言からなっていたことは明らかです。
(1)「私はかならずふたたび地上を訪れる。(2)そのときがいつ来るかということはけっしてわからない。(3)だからつねに用意していなさい」―主はこう言われたのでした。『影の国に別れを告げて―C.S.ルイスの一日一章』、中村妙子 訳、187-8頁
2019年5月11日(土)
再臨の日がいつ来るかということをどのような形であれ語る宗教は似非宗教であって、そのような宗教を信奉する時、人生を大切に生きることが難しくなってしまいます。
「霊や言葉によって、あるいは、わたしたちから書き送られたという手紙によって、主の日は既に来てしまったかのように言う者がいても、すぐに動揺して分別を無くしたり、慌てふためいたりしないでほしい。だれがどのような手段を用いても、だまされてはいけません。なぜなら、まず、神に対する反逆が起こり、不法の者、つまり、滅びの子が出現しなければならないからです。」(第2テサロニケ2・2-3)