正直な証人に不可欠の資格

福音書の記者たちは、正直な証人に不可欠の資格を備えています。すなわち彼らは、自分たちの主張にとって障碍になるように見える事実にわざわざ言及しているのです。

『影の国に別れを告げて―C.S.ルイスの一日一章』、中村妙子 訳、163-4頁

2019年4月25日(木)

聖書は、一つの宗教を創作することを目的として書かれたとするならば、あまりにも不親切であり、あまりにも矛盾に満ちているように思われます。ほんとうに人びとを信じさせるために人間が作り出したものならば、親切で完璧な論理がそこにあるはずだと思うのですが、聖書は全くそうではありません。

旧約聖書においては、今日の科学的知識からすれば首をかしげたくなるように創造物語、数々の奇跡、侵略における大量の殺戮、などなど。新約聖書においては、マタイの福音書冒頭の人名の羅列、処女降誕、復活、そして復活の記事における各福音書の違い、などなど。

この不親切と矛盾こそ、聖書の信憑性を確かにしているのだと、ルイスは語っているようです。

「はっきり言っておく。これらのことがみな起こるまでは、この時代は決して滅びない。」(マルコ13・30)
「三時にイエスは大声で叫ばれた。『エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。』これは、『わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか』という意味である。」(マルコ15・34)