葡萄はヤーウェの神によって送られた祝福の一つです。ヤーウェの神は似て非なる酒神バッカスの背後にある実在です。毎年、神は自然の秩序の一部として葡萄酒をおつくりになります。・・・ですからある意味では、神はたえず水を葡萄酒に変えておられるわけです。
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たった一度、ある年のあるとき、受肉の神はその過程を短縮なさり、一瞬にして葡萄酒をおつくりになりました。この場合には、その水の器として植物の繊維でなく土器をお用いになったのです。
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カナの婚宴の奇跡が奇跡である所以は、そのような短縮にあります。
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ここの臨在しておられるのはまさに、人間の心を喜ばせるために幾世紀にもわたって葡萄酒を私たちに与えつづけてこられたイスラエルの神なのです。『影の国に別れを告げて―C.S.ルイスの一日一章』、中村妙子 訳、145-6頁
2019年4月12日(金)
私はカナの婚礼においてイエスさまが水をぶどう酒に変えられたことを本当にそのまま信じていますが、それにしても、宗教の書物である聖書において、その宗教の創始といっていいイエスさまが最初の奇跡としてこれをなさったということがとても心にとまります。
いやしでもなく、死人を生きかえらせるということでもなく、水の上を歩いたというのでもなく、最初の奇跡として、水をぶどう酒に変えることによって、婚礼の席を守られた、二人の結婚を祝福された、ということが、この神さまがどのような神さまであるのかを豊かに物語っているように思うのです。この神さまは、私たちの小さな生活のそのひとつ一つをよくご存じで、そのひとつ一つを祝福しよう、喜びで満たそうとしておられるのです。
日本につたえられたプロテスタントキリスト教、とくに福音派と呼ばれる教派は、禁酒禁煙を大切にしてきました。私もそれは大切なことだと思っています。しかしカナの婚礼の個所を読むごとに、幅の広い神さまのお姿を思わされます。
「イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行って、その栄光を現された。それで、弟子たちはイエスを信じた。」(ヨハネ2・11)