憎悪と恐怖と賛仰

イエスが単なる道徳の教師と見なされたことは一度もなかったということ・・・彼は主として三つの反応を、会う人のうちに呼び起こしました。すなわち、憎悪と恐怖と賛仰です。イエスが単なるいい人間だと見なされたふしはまったくないのです。

『影の国に別れを告げて―C.S.ルイスの一日一章』、中村妙子 訳、49頁

2019年1月31日(木)

単なる道徳の教師とはみなされず、単なるいい人とも見なされず、出会う人に「憎悪と恐怖と賛仰」を呼び起こす存在。それがイエスさまであり、それゆえにイエスさまはまことの神である、とルイスは語ります。
このお方の前では、自分の態度が問われるのです。自分を変えざるを得なくなるのです。自分を変えることを拒むとき、憎悪が生まれます。自分に固執する時、恐怖が生まれます。しかし自分に絶望し、このお方にすべてを委ねる時、賛仰が生まれます。そして喜びが生まれます。

「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。」(マタイ10・34)