聖書は必要であり有益であるから隠喩を用いているということです。
『影の国に別れを告げて―C.S.ルイスの一日一章』、中村妙子 訳、45f頁
2019年1月28日(月)
聖書の中にたとえ話が出てきます。また比喩、隠喩、アレゴリーが出てきます。いずれも文章を美化したり詩的な表現を追求するためではなく、それが必要であり有益であるから書かれているのだとルイスは語ります。
「聖書はすべて神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です。」(第1テモテ3・16)
「イエスは弟子たちの前で、ほかにも多くのしるしを行われたが、それらはこの書には書かれていない。これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるためであり、また信じて、イエスの名によっていのちを得るためである。」(ヨハネ20・30,31)
「そこでイエスは言われた。『あなたがたに、神の国の奥義を知ることが許されているが、ほかの者には、たとえで話します。彼らが見ていても見えず、聞いていても悟らないためです。』」(ルカ8・10)
たとえで話されている目的は、分かりやすくするためではなく、逆に分かりにくくするためである、といわれます。分かるためには、自分の立っているところから一歩踏み出していかなければなりません。一歩踏み出すという犠牲、献身が問われるのです。そのために、たとえが用いられているのです。信仰とは、弟子として神に従う道に立ってはじめてわかることがあるということでしょう。