あなたはわれらを慰めてくださいます。そしてわれらはいかなるところ、いかなる時にあっても、立ち直ることができます。
C.ブルームハルト、『夕べの祈り』、加藤常昭 訳、183頁
〔主に贖われた人々は帰って来て/喜びの歌をうたいながらシオンに入る。頭にとこしえの喜びをいただき/喜びと楽しみを得/嘆きと悲しみは消え去る。〕(イザヤ51・11)
2018年8月13日(月)
キリスト教信仰とは、イエス・キリストという人格(位格)をお持ちの存在を信じ信頼することです。
キリストの教えを信じることでもありますし、聖書のことばを信じることでもあります。またキリスト教会の信条や教理を信じることでもありますが、それらを信じていたとしても、キリストという存在が信仰の対象、仰ぎ見るお方としてとらえられていないならば、キリスト教信仰に生きているとはいえません。あるいは、キリストの教えを信じることも、聖書のことばや信条、教理を信じることも、すべてキリストというご存在を仰ぎ見ることにつながる、帰結することでなければなりません。
私たちはキリスト教の教えに慰められるのではなく、キリストご自身に慰められるのです。ですからいかなる時にも立ち直ることが出来るのです。