あなたと共に働く値打ちある者

あなたはわれらを、あなたと共に働く値打ちある者としてくださいます。そしてイエス・キリストによる救いがこの世に及び、今日すでに多くの人間が自分の救い主を見いだしてよろこぶことを得、希望と慰めに満ちることを得させてくださいます。

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われらは日夜あなたを仰ぎ、あなたの栄光の時を見、すべての理性をこえる平安を得、すべての肉なるものの神であるあなたのうちにある天的な、大いなる救いを得ることができるのを待ちのぞみます。

C.ブルームハルト、『夕べの祈り』、加藤常昭 訳、45f頁

〔新しい歌を主に向かって歌え。主は驚くべき御業を成し遂げられた。右の御手、聖なる御腕によって/主は救いの御業を果たされた。/主は救いを示し/恵みの御業を諸国の民の目に現し〕(詩編98・1,2)

2018年2月17日(土)

神さまは理性を超える平安を与えてくださいます。理性に反する平安ではありません。この辺を誤解する信仰も多いように思われますが、聖書が語るのは理性を超えた平安です。超えると反するとは違うことです。超えるということは、理性は完全なものではないけれども大切なものであるということですが、反するということは理性に対して憎しみがあります。教会は理性を憎んでいるのではありません。理性を無価値なものとしているのではありません。神さまを知るには理性は大切なもの、必要なものなのです。

「神学において理性を「伴侶」ないし「対話のパートナー」として用いる」

(アリスター・マクグラス、『神学のよろこび』、36ページ)

「信仰とは、信頼することではあるけれども、暗闇に飛び込むことでもなければ、何の問いも発しないで、目を閉じたまま何かに依り頼むようなことでもない。というのは信仰は知解を求めるからである。教会は、人間の理性が人間に備わる他のすべてのものと同じように堕落していると認めるが、聖書に忠実であるときにはいつでも、理性を軽んじ反知性主義を鼓舞することを拒絶する」

(クランフィールド、『使徒信条講解』、21ページ)

私たちは、自らのすべてをもって神さまを仰ぎ見ます。