〔使者〕
2014年4月30日(水)
「もし平安を受けるにふさわしい家であれば、あなたがたの祈る平安はその家に来るであろう。」(マタイ10:11~15から)
共同体の仕事は、イエスの使者を泊めるに「ふさわしい」家から、始められるであろう。神は、祈り、待ち望む群れをいたるところに持っている。
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「悔改め」のためにまだ時間的余裕があると思いこませることほど、無慈悲なことはない。<ことは急を要する>、<神の国が間近に来ている>と語ること以上にあわれみに満ちた使信はなく、またそれ以上に喜ばしいおとずれはないのである。
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誰が聞き、誰が聞かないかということを、使者が自分で自由に決定できないからである。神だけが「ふさわしい人」を知っている。ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、215頁f。
福音が宣べ伝えられるためには、じっくりと時間をかけて語る必要があります。地域社会に福音が浸透していくためには、時間がかかることに、覚悟と忍耐が必要です。そう思って教会は宣教に励んでいます。
しかしボンヘッファーは、「ことは急を要する>と語ります。まだ時間的余裕があると思いこませることは、無慈悲なことであると語るのです。
語る者は、いったい誰がこの福音を受け入れてくれるのか、知りません。ただ神さまだけがご存知です。ですから、短い言葉で、明確な言葉で、語り続けなければなりません。またひとつのところにとどまり続けていてはいけません。神さまにゆだねつつ、語り続けなければなりません。
小さな人間には限界があります。その限界を知っているということは、できることとできないことを知っているということです。そしてできないことはしないで、できることだけに向かっていきます。それが謙虚というものです。
ある一定期間に伝道をして受け入れないならば、神さまにゆだねて次のことに心を向けていくことは、宣教において大切なことなのかもしれません。
時は貴重で短いのです。
(祈り)
神さま、滅びが迫っていることを知りつつ、悠長に偽りの永遠を語ったことを赦して下さい。短く、はっきりとした言葉で、福音を語ることができるように助けてください。
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