兄弟としての交わりの根拠

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〔恵みとしての交わり〕

2014年4月19日(土)

「兄弟」とは、キリストによって救われ、その罪を許され、信仰と永遠の生命に召された他者のことなのである。
・・・
われわれは、キリストを通して、お互いを完全に、永遠に、所有し合うのである。
このことは、キリスト者の交わりにそれ以上のものを求めようとするいっさいの濁った要求を、初めから斥ける。キリストがわれわれの間に建ててくれたこと以上のことを求めようとする者は、そもそもキリスト者の兄弟としての関係を求めているのではなく、他のところでは与えられない何か特別な経験を求めている。彼はキリスト者の交わりの中に、不確かな、不純な欲望を持ちこんでいる。

ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、195頁f。

兄弟姉妹の交わりが祝福されるためには、その間に「不確かな、不純な欲望」を持ちこまないことが大切であるとボンヘッファーは語ります。兄弟姉妹の間には「キリストによって救われ、その罪を許され、信仰と永遠の生命に召された」ということのみがある、そんな交わりが大切ということです。
人間は互いに「所有し合う」ことを望みます。しかしそこで過度な要求や期待を持ちこむならばたちまちその交わりは破壊されるか不健康なものになるでしょう。お互いに生かす交わりとならないのです。

健やかに所有し合うために、あるいは不純な欲望で所有し合わないために、お互いの間にイエスさまがいてくださいます。

(祈り)
神さま、濁った要求、不確かな、不純な欲望でお互いを支配することのないように守ってください。

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