約束に満ちた「疑い」

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〔復活〕

2014年4月12日(土)

「信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」(ヨハネ20章27節から)

イエスは疑う弟子のためにやって来るのである。
・・・
信仰とは、われわれが「見ることのできるもの」に注目し、「見ることのできるもの」によって確信するというようなことではあり得ない。信仰とは、ただ「神の言葉」のみに注目し、「神の言葉」のみによって確信するということである。無数の懐疑家たちは、トマスの歩んだ道を歩むであろう。しかしその疑いは、見たりさわったりすることによっては、決して解消されないであろう。その疑いは、ただ生けるキリストみずからの証言によってのみ解消されるのである。

ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、183頁ff。

イエスさまは疑う弟子のために、そのひとりの弟子のために再びやって来て下さいました。きょうもイエスさまは私のために、やって来て下さいます。

キリスト教信仰の確信は、聖書の言葉のみによって与えられるのです。それ以外によって与えられるということはありえないし、たとえあったとしてもそれはキリスト教信仰とは言えないということでしょう。
こころに疑いが生まれたときに、私たちがすべきことは聖書の言葉に沈潜することです。
そこでイエスさまにお会いすることができます。

(祈り)
神さま、聖書のみ言葉の深さ広さを教えてください。聖書のみ言葉の深さ広さを語らせてください。

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